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財前 宣之選手

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プライベートプロフィール

「二人の兄に憧れて」

財前 サッカーを始めたのは幼稚園からでした。兄2人とは7歳と9歳も年齢が離れていますが、自分は幼稚園の頃から兄達が通っていた小学校に行って一緒にサッカーをやっていましたね。小学生の時も、サッカー部の練習が終わってから夜に公園で兄達にいろいろ教えてもらっていました。夜遅くまでずっと、という感じで。


 中学になると、財前は1年生で名門・読売クラブの下部組織に合格する。


財前 プロを意識するようになったのは…、それこそ小学生の頃からですね。小さい頃はませていたので。その頃、兄はすでにサッカー選手としては有名でしたし、その影響は大きいと思います。
 読売に入団するときは大変なテストだったのですが、合格してもあまり兄弟から褒められませんでしたし、どんなにいいプレーをしても当たり前。自分が高校の時に日本代表に入った時も、プロになっても、あまり褒められないという感じの家庭環境でしたね。


「気持ちの強さを得た経験」

 中田英寿らとU-17代表でプレーするなど、世界との対決も経験した財前。彼にとって、世界への憧れ、世界との距離とは。


財前 世界への憧れも、中学・高校の時からありました。高校生の時に一度、高校の間にプロにならないかと言われたことがありました。今は当たり前のように高校生プロ選手もいますが、昔はいませんでしたので話題性もあったんですけど、自分は断りました。
 その後18歳でプロ契約をする時に、海外に行ける条件もつけ加えました。高校の時からやっぱり海外に行くことは考えていましたね。


 そして財前は、イタリアのラツィオに向かった。この時より始まる海外での経験が、今に至る彼のサッカー観を形成している。


財前 そうして18歳で海外に行った時は、もう怖いもの知らずでした。海外に行っても自分はやれるとは思っていたんです。
 当時は日本人が海外でプレーするのはまだ難しいことでしたが、その頃にカズ(三浦和良)さんがイタリアのジェノアに行ったんです。それと同時に自分もラツィオに留学したのですが、それなりに大変でしたね。海外では「日本人がサッカーできるのか?」という風潮でしたから。
 最初はやっぱりいじめがあるんですよ。言葉も通じませんし、言葉が通じないとボールも回ってこないし、たまにボールがきてもわざと強いパス出したり、そういういじめがあって投げ出したくなるということもありましたよ。
 でもそんなとき、こっちは自信満々で行っているんで、強いパスが来てもピタッと止めてみせるんですよ。「どうだ!」という感じですね。そうすると、チームメイトの態度の変わりようというか、自然にチームに入っていけました。 やっぱりチームメイトに認められて初めてチームの仲間に入れてもらえるという感じですね。
 やっぱりそういう経験を乗り越えてボールが回ってくるようになり、お互いの信頼ができる。僕の場合のいじめは軽い方でしたけど、若いときにブラジルに行ったりした選手などは、わざとボールをみぞおちに蹴り入れられたりとかあったようです。
 そのときのラツィオに一年留学した経験がすごい自信になったので、スペイン(C.Dグロニエス)へも再び自信満々で行きましたよ。スペインで契約してもらえたというのもすごい自信になりました。そういう意味で、世界で認められたことは嬉しいと思います。
 いろいろな困難をプレーで解決していくというのは、非常にいい経験ですよね。それは大人になってもそうです。
 イタリアに行った中田(英寿)も「ボールが来ない」ということがあったみたいですけど、そういうのは海外なら当たり前のことなんですね。
 だから海外に行って一番得るものは、気持ちが強くなるということですね、タフさというか。海外では弱気じゃできないですよ。特にイタリアという国は非常に難しい国なので、そういう意味で中田(英寿)とかはすごいと思いますね。あの難しい環境の中で結果を出せるというのはね。
 自分が海外で得たものは、自信も含めすべてですね。海外では練習の態度、スピード、強さ、すべてのレベルが違いました。でも、結局その後の怪我のために、海外の夢を諦めて日本に戻ってきたんですが。
 (つづく)

 

財前 宣之選手

 

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