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小針清允選手/プロ意識の形成

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サッカーとの出会い

小針 サッカーは小学校から始めました。ちゃんとしたチームに入ったのは2年生の時です。ポジションは特に決まっていなくて、その日の、その試合ごとにやりたいポジションをやっていました。後から考えてみると、色々なところを経験させて自分のいいところを出すようにする、という狙いもあったと思います。
 でも大事な大会では、それぞれの適正のポジションを監督が決めていましたね。そういう時、僕はキーパーをやることが多かったです。そうしてプレーする中で僕はキーパーの楽しさを感じていたので、やらされている感じもありませんでした。GKに定着するようになったのは、ヴェルディのジュニアユースに入ってからです。
 当時まだJリーグは発足していませんでしたが、小学校の時に漠然とプロサッカー選手になりたいという思いを持っていました。日本にはまだプロが無くても、海外にあることは知っていましたし。自分の育った町からは遠かったけれど、行くのなら日本リーグで見て自分に合っていると思った読売なら楽しくやれると思いました。小学校6年生のときにテストを受けて、中学から通うようになりました。僕が入った頃には、まだ今のJの下部組織のような環境がそろっていたわけではありません。でもジュニアユースのときはユースの選手が、ユースの時もサテライトやトップの選手が、身近にいました。怪我明けの選手や時間がある選手は、僕たちの練習に顔を出して一緒にゲームをやってくれたり、キーパー練習の時にシュートを打ってくれたりしました。そういうかたちでプロを間近に感じることができる環境にあったのは、恵まれていたと思います。

 

scene2
世界での経験、そしてプロへ

小針 ユース代表の経験は、14歳か15歳くらいのうちから海外に行けて、サッカーに限らず人として幅が広がった経験でした。ありがたかったです。ニュースで世界のことを見ても行ったわけじゃないから実感できないところもあるわけです。そういったものを、肌で感じました。空港に降りた瞬間から臭いが違う、といったように。
 観光で行ったなら表面的なものしか見えない場合もあります。でも試合で海外に行くと観光では行けないようなところにも行けたし、そこで社会の実像を知る事もできました。だから今も、旅をしたい、という願望を強く持っているように思います。言葉が通じなくても気持ちで会話するような…例えば、行った先で色々な国の選手と同じ宿舎になって、エレベーターとかで顔を合わせて、お互い何を言っているかは分からないけど、「会話をしたい」と試みたこともあります。行っていなかったらそういう気にもならなかったかもしれません。だから、試合以外にもいい経験ができました。
 もちろん代表だから選ばれた選手ばかりで、意識の高い選手がそろっているし、いい刺激になってサッカーでもレベルアップしたいという向上心を持たせてくれましたね。
 代表で色々遠征に行った先で戦う相手には、もう16歳くらいでプロという人もいました。彼らからはシビアな部分や、一つのボールに対する貪欲さも、学びました。もちろん日本でも、読売で育ってきたため身近にいたプロの人からもそういったことを勉強させてもらいましたね。だから、上がる前からプロとしての意識付けをされていたと思います。
 高1の時にJリーグが始まりました。読売に入った時はプロというより読売のトップに入りたいという気持ちが強かったと思います。プロはなりたくてもなれるものではありませんが、自分の場合割とスムーズになることができましたね。

 

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仙台へ

小針 2002年に仙台に加入しました。2001年に1年間だけ神戸に期限付き移籍をしていて、その時は怪我が重なって1年間満足にプレーができなくて、そんな中で自分としても違う環境でやりたいと思っていたところ、J2から上がったばかりの仙台からのオファーがありました。これは、チャレンジにはいいタイミングだと思いました。
 あとヴェルディの時に一緒にやっていた選手も何人か当時の仙台にはいましたから、そういった連絡を取り合っていた選手から「仙台は盛り上がっているよ」というようなことを聞いていました。最初にそういう評判を聞いていたのはオファーをいただく前だったので、自分がそこに行くとは想像していませんでしたが。


01 GK 小針清允選手

 

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