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タイの子どもたちにベガルタ仙台を届けよう!レポート

掲載日:2023年12月27日

タイの子どもたちにベガルタ仙台を届けよう!with大久保剛志(YUKI FOOTBALL ACADEMY)&Baan Dek財団レポート

昨年に引き続き、多くのグッズを寄付いただく

2023年7月5日(水)、ホームゲーム 清水エスパルス戦。
昨年に引き続き、ベガルタ仙台のSDGsの取組みの一環として、タイのスラムや難民キャンプで暮らす社会的に弱い立場の子どもたちため、使用しなくなったベガルタ仙台グッズをサポーターのみなさまに寄付いただく活動がスタートしました。
【7/5 J2 清水戦】 ユアスタにご持参ください!タイの子どもたちに使わなくなったベガルタTシャツなどをプレゼントしよう!

本年は、206名のサポーターの方々から合計999アイテムを寄付いただきました。ありがとうございました。
寄付いただいたグッズの受け皿と現地のコーディネートは、昨年に引き続き当クラブOBの大久保剛志(以下、大久保選手)が運営するYUKI FOOTBALL ACADEMY(以下、YUKI)と、今年新たにパートナーに加わったNGOのPlay Onside (以下、PO)に担っていただきました。
POは、タイの北西部、ミャンマーの国境に面するメーソート群にて、サッカーをツールにして子どもたちの自立や学習を支援し、ソーシャルインクルージョン、ジェンダーフリーを目的として設立された団体です。かつては、FIFAのダイバーシティアワードにもノミネートされました。

子どもたちのサッカー大会に参加

12月上旬、クラブコミュニケーターの富田晋伍を含む4名のベガルタ仙台スタッフがタイに向かいました。
日本からまずはバンコクへ。翌朝LCCに乗り換えて、バンコクからメーソート空港へ向かいました。1時間のフライトと近距離ですが首都バンコクと比べると明らかに都市規模がコンパクト。いい意味でのどかな田舎と感じました。
空港には、POのスタッフが迎えに来てくれており、その足で早速、子どもたちのサッカー大会が開催されているサッカー場に向かいました。
200人ほどの子どもたちが参加している会場では、既に子どもたちにベガルタのタオルマフラーが配られており、手に取り笑顔を見せる子どもたちから到着早々に心が癒されました。

大会で汗を流す子どもたちを見ていると、富田晋伍含めたベガルタ仙台スタッフに参加しないわけにはいかないという妙な使命感が生まれ、飛び入り助っ人として子どもたちの試合に参加。
涼しい乾季とはいえ、30℃の太陽が照り付ける中でのプレーでしたが、長時間移動で凝り固まった体をほぐすにはちょうど良く、子どもたちと楽しくボールを蹴ることができました。

メーソートの現実

そこで、改めて気づかされたことがありました。同行したタイ語の通訳の方が「ほとんどの子がミャンマー語を話している」と教えてくれました。
メーソートはミャンマー国境の街。ミャンマー国内では民族紛争に端を発した深刻な差別問題に直面しています。就労や教育を受ける機会などの基本的人権も制限されています。武力衝突、空爆、無差別砲撃、放火、インフラの破壊などにより、多くの民間人の命と生活が危険にさらされ、そこから逃れるため、ミャンマーとタイの国境にある川を不法に渡って逃れてくる難民が後を絶ちません。その難民たちのキャンプコミュニティが多数形成されているのがここメーソートであり、商店街やストリートにはミャンマー語の看板があふれています。メーソートの労働人口もミャンマー人が低賃金で支えているというのがこの街の実態でした。

裸足でサッカー

視察したサッカー大会の子どもたちも難民キャンプから参加していました。足元は、ほとんどが裸足。良くてソックスだけ。靴を履く習慣がないそうだ。スパイクを履くことが仙台風に言うと「いずい」とのこと。
ただ、慣れというものは人をたくましくするのか。スパイクを履こうが履かまいが、子どもたちは、全力でガンガン挑んできます。我々は、スパイクを履かないとプレーできないため、子どもたちに気を使いながらでしたが、子どもたちは関係なしでした。
サッカーをするときの歓声や屈託のない笑顔は、どこも変わらず全世界のフットボール共通であることに改めて感動を味わいました。

難民キャンプを訪問

大会が終わり、POが手配したソンテウ(小型トラックの荷台を改造した旅客車両)に、子どもたちと乗り込みました。難民キャンプに子どもたちを送り届けるため、中心部にあるサッカー場を出発し、郊外を目指して荷台に揺られること約20分。到着した難民キャンプをそのまま視察させていただきました。

500人ほどが生活しているキャンプの近くには、生ゴミ処理場があり、そこで生計をたてていました。舗装がされていない土面の道路に木造の家屋。雨期に大雨が降れば、小川の氾濫も伴いすぐに冠水するような場所でした。そこで改めて現実を目の当たりにします。
命からがら逃げてきた人たちのコミュニティ。パスポートもIDもない無国籍状態。毎日を生きるのが精いっぱいであり、文字通りの「その日暮らし」。課題は、就学の習慣がない親が学業よりも日銭稼ぎを優先させる児童労働。性教育もされず若くしての妊娠とそこから派生するネグレクトや児童虐待。昨年、タイのチェンマイでもスラムを視察しましたが、場所が変わっても問題は全く一緒。英語の苦手な我々でも「No hope No future」という言葉が胸に重くのしかかりました。

POは、企業や個人の寄付を財源とし、その課題に真っ向から向き合い、自立支援に取り組んでいます。手作りでコミュニティハウスを作る、荒地を手でならしてサッカーグラウンドを整備する、学校教育やタイ語教育など学業面もサポートしています。17歳の子が小学校3年生の授業を受けるなどはざらとのこと。ただし、それらの学校は公立ではないため、卒業しても公的な証明書が発行されるわけではありません。しかしながら、そうでもしないと自立への道は開かれない。厳しい現実でした。キャンプには短い滞在時間でしたが、そこには子どもたちの歓声や笑顔があふれていました。そういったものを目の当たりにしたときに、我々ができること、サッカーで元気を共にする、サポーターのみなさまと物的支援をする、そしてこの現実を我々の発信力で広く日本に知らしめること。改めて、使命を認識した時間でした。

国境沿いでみた現実

翌日、朝一でバンコクから移動してきたYUKIのみなさんと合流。大久保選手は、前日に公式戦に出場したため、この日の合流でした。一行で、タイとミャンマーの国境の川沿いに向かいました。出入国管理局がある橋があり、国境を行き来できる。ただし、そこを公的に通れる人は少ない。周辺の川沿いは、小さな川に簡易の柵が建てられているだけで、不法侵入しようと思えば簡単にできる環境でした。ライフル銃を持ったタイの軍人が常に監視をしており緊張が走ります。柵越しにミャンマーを見渡せば、サッカーをしている少年が目の前におり、サッカーが万国共通であることを改めて感じました。川を一本隔てて、国が違い人生模様も大きく変わる。その現実に中々頭の整理が追い付きません。そもそも川を越えて不法侵入してくることがいいことなのか。許されていないことだろう。ただ、そうしてでも必死に生きようとしている、サッカーや学業で自立しようとしている子どもたちがいる。その背中を押す、支援すること、そこにためらいをもってはいけない。そう言い聞かせるのみでした。
その後もう一つの難民キャンプを視察した後、メインイベントとなるサッカー教室の会場へ。

サッカー教室

サッカー教室は、約40名の子どもたちと現地のスタッフが参加してくれました。YUKIのスタッフがカリキュラムを組み、富田晋伍とベガルタスタッフでサポートする形で進行。
サポーターのみなさまからいただいたユニフォームやTシャツを着用した子どもたちへの教室がはじまりました。半分以上が女子であり、ジェンダーフリーの実践を大きく感じました。

しかし問題が発生。日本語で指導し、それをタイ語に通訳をしてもらい指導するのだが、まだ10歳前後の子どもたちがメイン。タイ語がわからない子がほとんど。かろうじてタイ語とミャンマー語を話せる子どもを介して日本語⇒タイ語⇒ミャンマー語と通訳してもらうという特殊な形での指導となりましたが、これもまた経験です。

いざサッカーが始まればいつも思うこと。言葉や民族、国は関係ありません。グラウンドに響くのは楽しさあふれた歓声と、とびっきりの笑顔。その笑顔が、楽しんだ体験が、パートナーシップを生み、人を思いやる心を育み、難民の子どもたちの自主自立、そこから平和への礎となる。そう信じてやまない2時間の教室でした。

おわりに

当クラブはSDGsの基本方針にて「みなさまのハブとなり、パートナーシップで地域課題の解決に取り組み、地域とともに未来を創る活動に全力を」と謳っています。
宮城、仙台が軸となるが、可能性はホームタウンに留まらず、アジア、世界へと通じます。
地域問わず、課題を顕在化させ、発信し主体的に解決に取り組む。これが地域に生かされたJクラブの存在意義であることを忘れてはならない。
2年連続でタイにて子どもたちへの支援を実施しました。クラブ単独でできることではありません。サポーターの方々の寄付があり、スポンサーのみなさまのパートナーシップがあり、その他様々な方々の支えがあって、成り立つ事業です。

本取組みに共感しパートナーとしてご支援いただいた阿部会計事務所さま、HRインスティテュートさま、JTBさま、三井住友海上火災保険さま、昨年に引き続き海外輸出に関する全てをコーディネートいただいたKEN TRADINGの山田匠社長、タイ語のみならず英語通訳も担ってくれたHONDA Sayakaさん、YUKI FOOTBALL ACADEMYの加藤友介コーチと黒田るな子さん(アンリーシュ合同会社代表、ベガルタ仙台サポーター)、昨年に引き続き団体をつないでコーディネートしてくれた北村明子さん、窓口として奮闘してくれたMr JhavierとPlay Onsideのみなさま、全ての活動に常に全力で協力してくれるクラブOB大久保剛志。
そして毎年多くの善意を寄せていただいた誇り高きベガルタ仙台サポ―ターのみなさまに、最大限の感謝を申し上げ、最後はこの言葉でしめさせていただきます。
コップンカー!(タイ語でありがとうございました)

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