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MF 40 関口 訓充 Kunimitsu SEKIGUCHI

1985年12月26日生まれ 171cm / 66kg 東京都出身
永山FC→FC多摩Jrユース→帝京高→ベガルタ仙台(2004年加入)→浦和レッズ→セレッソ大阪→ベガルタ仙台(2018年加入)

6年ぶりの“帰還”。
再びこの仙台で輝く。

 関口訓充が帰ってきた。

 4月10日、仙台の新加入選手が発表された。それが、2004年に仙台でプロデビューを果たし、2012年までプレーしていたあの関口だった。

 「自分の加入した1年目のクラブで、まだまだ動けるうちに貢献したいという思いがあったので、このタイミングで戻ってくることになりました」。

 関口はこの仙台で、プロサッカー選手として、人として、さまざまな経験を積んだ。彼のドリブルに代表されるように、攻守に出足の速いひたむきなプレーは、何度となく仙台サポーターを沸かせた。

 ルーキーイヤーの2004年に試合出場と初ゴールを記録し、長いJ2の戦いの中で成長。2008年にJ1・J2入れ替え戦で勝ち上がれずに悔し涙を流したときも、翌2009年にJ2で優勝してJ1昇格を果たし喜んだときも、彼はこの仙台とともに感情をともにした。そしてJ1の戦いを通して、日本代表にも選ばれた。2011年には東日本大震災で自身も苦しい思いをしながら、被災地の人々を勇気づけるプレーを続けた。2012年のJ1優勝争いでも、チームの快進撃を支えた。

 浦和やC大阪で様々な経験を重ね、かつての若手選手は、いつの間にか経験を伝える兄貴分の役割を果たすようになっていた。

 「いろいろな選手達と切磋琢磨して大きくなれたところもあるし、去年は二つのタイトルを取ったチームにいたこともあるし、そういった経験を伝えられるようになれれば」

 まずは、この仙台での競争に身を投じ、再びピッチ上でチームに貢献できるように自分を磨く。そして同時に、以前のように周囲に積極的に声をかけ、チームに溶けこもうとしている。

 「似合っているかどうかは分かりませんが、このユニフォームが似合う選手になれるようにがんばっていきます」とはにかんだ関口のユニフォームには、新たに40という大きな番号が記されていた。新加入でありながら、仙台を知り、愛する男。関口の新たな挑戦が、仙台で始まった。