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3月11日(水)、東日本大震災の追悼として、トレーニング前に黙とう、勾当台公園仮設広場で献花・黙とうを行いました。

掲載日:2026年3月11日

東日本大震災の発災から、本日で15年を迎えました。
亡くなられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災されたみなさまに改めて心よりお見舞い申し上げます。

トップチームがトレーニング前に黙とうを実施

トップチームは本日午前中のトレーニング前、グラウンドにてチーム全体で黙とうをささげました。
東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、明治安田J2・J3百年構想リーグ、そしてその先の2026/27シーズンに向けて、クラブ一丸となって戦う決意を新たにしました。

勾当台公園仮設広場で献花、黙とうを実施

本日、森山佳郎監督、武田英寿選手、梁勇基C.D、富田晋伍C.C、代表取締役社長 板橋秀樹ほかクラブスタッフが勾当台公園仮設広場を訪れ、献花を行いました。
発災時刻の14時46分には沿岸部の方向へ向かい、黙とうをささげました。

武田英寿選手(一部抜粋)

いろいろ考えることはたくさんありますが、今はベガルタ仙台の選手として仙台にいる以上、より一層がんばらなければいけないと改めて強く感じました。

震災当時(小学3年生)は授業中で、すごく揺れて校庭に逃げた記憶があります。あの時は本当に必死で、振り返ってもあまり覚えていないくらいですが、こうして日々生きられることの幸せを感じながら、一日一日を大切に過ごしていきたいと思いました。

これからも地元を背負って、宮城・仙台を背負って、勇気や夢、希望を与えられるようなチーム、選手になりたいと思います。ピッチでこのエンブレムを背負い、一生懸命に戦う姿を見せていきます。

森山佳郎監督(一部抜粋)

本当にたくさんの方が被災されて、いまだに2,500名ほどの方が見つかっていないということで、決して風化させてはいけないというのと、あとはやはり、この震災の経験や知識を、少しでもこれから起こりうる災害に向けて、いろんな教訓として生かしていけるよう、これから若い世代に伝えていかないといけないと感じました。また、被災された方、あるいはご家族の方の心が完全に癒えることはないかもしれませんが、少しでも心が安らかになる時間が増えるようにと、祈念しました。

僕らは、被災地のクラブを代表して、その思いを胸に、勇気ある、そして最後まで諦めない、見ている方たちの魂を揺さぶるゲームをしていきたいと思っています。子どもたちが夢や希望を持ってもらえたり、おじいちゃん、おばあちゃんにとっての生きがいや楽しみを持ってもらえたりと、少しでもこの宮城・仙台が元気になるお手伝いを、僕らが一生懸命やることで、何かしら明るいポジティブなパワーを発信していきたいです。

選手やコーチングスタッフにも10名近くの被災者がいます。普段は震災の経験を口にするわけではないですが、それぞれが思いを持っていると思います。そういう選手・スタッフを横に、ともに手を取りあいながら、諦めずに最後まで戦っていきたいと思います。

梁勇基C.D(一部抜粋)

震災から15年ということで、僕も現役時代に震災を経験し、あれから15年も経ったのかという思いがあります。改めて、その教訓や記憶を忘れることなく、これからも生きていかなければならないと感じました。

震災直後は「サッカーどころではない」という気持ちでしたが、徐々にサッカー選手としてベガルタ仙台のユニフォームを着て結果を出すことで、宮城・仙台を元気にしたいという思いで、クラブ一丸となって戦いました。その結果がクラブ史上の良い成績にもつながったと思いますし、いろいろな思いを背負って戦うことのパワーを強く感じました。

震災を忘れることは決してありませんし、ベガルタ仙台というクラブでプレーする意味を、震災を経験していない選手も多い中で伝えていくことが大切だと思います。本日、森山監督、武田選手とともに黙とうを行いましたが、クラブとしてこうした取り組みを続けていくことが、後世につながっていくのではないかと思います。

当時は「希望の光」「復興のシンボル」という言葉を常に掲げながら戦ってきました。その思いは今も変わりません。今の選手、監督、スタッフにもその思いを持ってもらえたらうれしいですし、サッカーを通じて、仙台・宮城に勇気や元気を届けられるクラブであり続けてほしいと思います。
ベガルタ仙台はJ1復帰に向けて、選手、監督、スタッフが一丸となってがんばっています。僕はそれを支える立場として、できることをしっかりと全うしていきたいと思います。